第8章
月の地下という選択
未来設計室。
会議室の中央には、直径一メートルほどの月の模型が置かれていた。
その表面には無数のクレーターが刻まれている。
白石はその模型を静かに見つめながら言った。
「今日は、設計図を書く前に、一つだけ決めなければならないことがあります。」
「月のどこに街を造るかです。」
悠真は迷わず答えた。
「地上ではないんですか?」
白石は微笑んだ。
「その質問を待っていました。」
月は美しい。しかし……
部屋の照明が落ちる。
スクリーンいっぱいに月面の高精細画像が映し出された。
灰色の大地。
どこまでも続くクレーター。
漆黒の宇宙。
地球から見れば静かで美しい世界だった。
しかし、白石は次の画像を映した。
無数の穴が開いた岩石。
「これは何だと思いますか。」
誰も答えない。
「小さな隕石の衝突跡です。」
なぜ月には隕石が落ちるのか
白石は地球と月の模型を並べた。
「宇宙には、砂粒ほどのものから岩石まで、さまざまな大きさの物体が飛び交っています。」
「地球にも毎日たくさん飛び込んできます。」
悠真が驚く。
「でも、そんな話は聞きません。」
白石は地球の模型を指差した。
「それは地球には大気があるからです。」
スクリーンには流れ星の映像が映る。
「皆さんが夜空で見る流れ星。」
「あれは宇宙から飛び込んできた小さな岩石が、大気との摩擦で燃え尽きる現象です。」
「つまり、地球は大気という巨大な盾に守られています。」
今度は月の模型を指差した。
「しかし月には、ほとんど大気がありません。」
「宇宙から飛んできたものは減速することなく、そのまま地面へ衝突します。」
スクリーンには、高速で飛来した岩石が月面へ激突するシミュレーション映像が流れる。
一瞬の閃光。
土煙。
新しいクレーター。
「月面では、これが何十億年も繰り返されてきました。」
部屋が静まり返る。
見えない敵
水野が続ける。
「大きな隕石だけではありません。」
画面には小さな粒子が表示される。
「米粒より小さいものでも、宇宙では秒速数十キロメートルで飛んできます。」
「ライフル銃の弾丸より、はるかに速い速度です。」
「そのため、小さな粒でも宇宙船や建物を破壊する力があります。」
悠真は思わず息をのんだ。
「つまり……。」
「地上に家を建てるということは。」
白石が静かに答える。
「毎日、弾丸が飛び交う場所で暮らすようなものです。」
地下という発想
部屋の中央にある月の模型がゆっくり回転する。
白石は模型を持ち上げ、その断面図を映した。
地表の下に、何層もの空間が描かれている。
「だから私たちは考えました。」
「宇宙飛行士を守る宇宙服を厚くするのではなく。」
「街そのものを守ればいい。」
「つまり……。」
悠真がつぶやく。
「地下都市。」
白石は静かにうなずいた。
「地表は作業場。」
「地下は生活空間。」
「人が暮らす場所は岩盤で守る。」
「これがPROJECT EDENの基本思想です。」
月の土は敵ではない
水野が机の上に灰色の粉が入った透明なケースを置いた。
「これは月の土を再現した試料です。」
悠真はケースを覗き込む。
細かい灰色の粉。
砂のようにも見える。
「これを『レゴリス』と呼びます。」
水野は説明を続けた。
「レゴリスとは、月の表面を覆っている細かい砂や砕けた岩石の層です。」
「長い年月をかけて隕石が岩盤を砕き続けた結果、生まれました。」
「見た目は砂ですが、とても細かく、ガラスの破片のような鋭い粒子も含まれています。」
「そのため扱いには注意が必要ですが、建築材料として利用できる可能性があります。」
白石が続ける。
「敵だと思われていた月の土が、実は街を守る壁になる。」
「これも発想を変えるということです。」
なぜ南極なのか
悠真はもう一つ疑問を口にした。
「街を造るなら、どこでもいいわけではありませんよね。」
白石は月の模型を南極側へ回転させた。
「その通りです。」
スクリーンに、月の南極周辺の地形図が映る。
「私たちが注目しているのは、月の南極です。」
「理由は三つあります。」
一本目の指を立てる。
「第一に、太陽光を長時間受けられる場所があり、発電に有利なこと。」
二本目。
「第二に、太陽の光がほとんど届かないクレーターの底には、水の氷が存在すると考えられています。」
三本目。
「そして第三に、地下空間を活用しやすい地形が多いことです。」
「つまり。」
「生活に必要な電気、水、そして住居を確保できる可能性が、最も高い地域なのです。」
第9章へ
会議が終わると、悠真は模型の月を見つめたまま動けなかった。
これまで月は、遠い天体だった。
しかし今は違う。
そこには街が見えた。
学校があり、病院があり、公園がある。
子どもたちが走り回る未来が見えた。
その時、白石が静かに言った。
「次は、街を造る方法を考えましょう。」
「問題は、誰が造るかではありません。」
「どうやって、何もない月に最初の一軒目を建てるか。」
その問いが、PROJECT EDEN最大の技術的挑戦の始まりだった。


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